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高羽家青嵐記・参

「はぁ? 意味わからんわ。俺に交神行くなて。そら、相手は忍ちゃんのお母さんとは別の神さんやけど、力考えたらしゃあないやろ」
「そういうことを言ってるんと違う。透ちゃんが『交神』行くのが嫌なんや!」

忍が家に来てから、ふた月経った。
最初の頃こそ、怖がっているような素振りを見せていたが、いい加減俺の口の悪さにも目つきの悪さにも慣れたのか、今では気に入らないことがあると、忍は平気で言い返してくるようになった。
口調も、すっかり俺のがうつってしまった。
街の中で、商人相手に値切るときは良いが、良家の子女としては如何なものかと思い、『直せ』『俺の口調を真似るな』と言い聞かせているが一向に直る気配が無い。

「じゃあ何か? 舞子さんにずっと操立てえ言うんか?」
「お母ちゃんに操立てろやなんて言うてるんとちゃうわ!」

忍が何に対して怒っているのか全く見当がつかない俺は、切り口を変えることにした。

「あのなあ。――ずっとふたりで討伐行ける訳なんかあらへんやろ。わかってんのか、忍ちゃん。自分、先月大怪我したばっかりやろがや」
「嫌なもんは嫌や!」

どうして、判ってくれない? 忍をこれ以上、危険な目に遭わせたくないから、戦力の増強が必要で……忍が元服を迎えていない以上、交神の儀に臨む事が出来るのは、俺しか居ない。
だから、潔斎して……儀式に必要な祈りの祝詞を覚えさせようとしたら、このザマだ。

忍が、先月留守番を任せた折に、近所に住む三味線のお師匠さんの元で琵琶の弾き語りの才能を開花させたことは、イツ花から聞いて知っている。
そして、三味線の師匠に対し、仄かな恋心を抱いているのではないか……ということは、手習いの行き帰りの、忍の嬉しそうな様子を見て察しがついた。
だから俺が、交神に行くと言っているのに。
忍に行けと言っているのなら拒まれるのはまだ解るが、何故俺が交神に行くのを拒む。

「せやったら、忍ちゃんが交神行くか? 俺は別にどっちでも――」
「知らんわ! 透ちゃんのアホ!!」

俺が最後まで言い終わらないうちに、ぱぁん! と頬が鳴る。じわり、と顔の左側が熱くなった。

「痛ったー……って、忍ちゃん、どこ行くねん!」
「透ちゃんのアホ!! ついて来んといて! 透ちゃんなんか、大っキライや!!」

(--っ、何で泣くねん! ホンマ、ワケわからんわ!)

走り去る忍を追いかけることも侭ならず、俺はただ、震える自分の拳を握り締めることしか出来なかった。

「これやから、女は好かんのや」

どん、と思わず壁を殴る俺に、イツ花が控えめに話しかけた。

「あの、透様」
「何や」

上目遣いに切り出すイツ花に、例によって俺はつっけんどんに答えてしまう。
元々細かいことを気にしない性分のイツ花だ。いい加減慣れたのか、俺に睨まれた位では全く動じないのでこういう時は助かる。

「さしあたっての問題は、『戦力の増強』なんですよネ? でしたら、交神でお子を授かる以外に、『養子をお迎えする』ですとか、『結魂の儀』により他家との間にお子をもうける……といった方法もございますが」
「……は? 何やて?」

養子縁組、は何となくわかる。
一般的に、市井で行われているのと同様に、他家から跡取りを迎え入れるということなのだろう。

(他家との間にお子て、『種絶の呪い』はどこ行ってん!!)

俺は余程、驚いた顔をしていたのだろう。軽く笑うと、イツ花はこう言った。

「透様、イツ花の『説明』ちゃんと読んでませんね? 確かに透様にかけられた『種絶の呪い』は、人との間に子を成すことができません。――でも」

そこでいったん言葉を切ると、いつもの「お風呂の用意、出来てまーす!」と告げる時と同じ位に軽いノリで、イツ花は衝撃の事実を口にする。

「この世界には――いえ、正確に言うと『異世界』に近いんでスが。遠き異国に、当家と似たような境遇のご一族がいらっしゃるんですよ」
「つまり、そいつらとの間にやったら子を成せる――跡取りをもうけられる、って事か」

ずり落ちかけた眼鏡を直しながら、俺はイツ花の言葉の続きを語る。

「さっすが透様! お話が早くて、イツ花、とっても助かっちゃいます!」
「……結論から言うで。まず、『養子縁組』は無しや。俺の……いや、俺らの目的の為に他所様のお子さんを巻き込むことは出来ひん」

俺の返答を聞くと、イツ花は「はぁー」とガックリ肩を落とした。
しかしすぐに顔を上げると「ではご結魂なさるのですネ!!」と満面の笑顔で返してきやがった。
立ち直りの早い奴だ。

「ちょい待てや。『結魂』て、歳は関係無いんか?」
「いえ、結魂の儀に臨むには、肉体・魂の双方が安定した状態で無ければダメなんです。つまり、元服を終えられた方が条件ですネ」

イツ花の説明に、少しばかり引っかかるものを感じた俺は、即答を避けて念の為に確認をとる。

「なあイツ花ちゃん。ソレ交神とどう違うねん。俺にはイマイチ、違いが解れへんねやけど。俺にも解るように教えてや」
「うーんとですネ。簡単に言うと、肉体の繋がりを以ってお子を授かるのが『交神の儀』、当家と似たようなお立場の方から、魂の力をお借りしてお子を授かるのが『結魂の儀』。……おわかりになります?」

なんとなくの印象ではあるのだが、神様とイチャイチャ触れ合うのが交神、異国の異性と仲良く語らって「頼んます!」と拝み倒すのが結魂、ということで良いのだろうか。

「いや、サッパリわからん」
「あうぅ……では、忍様には、今と同じお話をイツ花からしておきますネ」

俺が理解していないものを、説明できる筈が無い。
ここはイツ花の提案に甘えることにした。

翌日。お気に入りの琵琶を片手にお師匠さんの所から帰ってきた忍は、俺の顔を見るなりこう言った。

「うちが、跡取りを授かる。結魂でも交神でも、何でもする。せやから、透ちゃんが交神に行くんは無しやで」

真っ直ぐに俺の顔を見据えて告げる、強い意志を宿した瞳。
……俺に、断れるわけがない。

「わかった。けど、忍ちゃんが儀式に行くなら……あと三月、ふたりで頑張らなアカンっちゅーことやな」
「うちに出来る、いっちばんの譲歩やで。こん位のワガママ、花嫁修業やと思って許してや」

忍はそれだけ言うと、顔全体をくしゃくしゃにして俺を見上げる。
(あ、やばい。――この顔は、また、泣く)

「しゃーないなァ。ワガママ、きいたるわ」

何故、忍はこんな顔をする。
時折見せる、辛そうな――今にも泣き出しそうな笑顔。
俺は思わず、忍の頭に手をやり……小さい子にするように、ぽんぽん、とはたいてから軽く撫でた。

「もう! 子供扱い、せんといて!」
「すまんの。ほな、忍ちゃんが花嫁修業しとる間に、似合いのエエ男探してきたるから、待っといてや」
「……透ちゃんのアホ」

ぷい、とそっぽを向く忍を見て、何故だかわからないが、俺もほんの少し……苦しいような、痛いような気持ちになった。

「はは、子供扱いするな言うから、大人の女な忍ちゃんにピッタリの相手探す言うとんのに。手厳しいのー」
「うっさいわ! そんなん、自分の相手ぐらい自分で決められるわ。ほなウチ、早よ怪我治せるようにおとなしくしとるから、透ちゃんはさっさと討伐行きや」

「おう。なら、留守番しとる間に、神さんの姿絵やら見合いの釣書やら見て、エエなって思う相手、見繕っとくんやで」

イツ花の持ってきた、神様の姿絵やら釣書の山を指して言うと、忍は一瞬そちらに目を遣り、キッと俺を睨みつけた。

「……うちの、花嫁姿にケチつけたら許さへんからな」
「あほか。そんなこと、絶対せえへんわ――忍ちゃんやったら……いや。何でもない」

――鎧や薙刀なんかより、花嫁衣裳の方が似合うエエ女に絶対なる。

本当は、忍には戦装束などよりもっと、娘らしい着物の方が似合う――一瞬、そんな言葉が頭の片隅に浮かんだが、口に出すことは出来なかった。

「何なん? 透ちゃんのアホ。……無茶せぇへんと、今月が終わったら、帰って来ィや」

俺が交神に行けない(忍がイヤだと拒むので、儀式に必要な『一族全員の心をひとつにした祈り』を得ることが出来ない)以上、選べる選択肢は三つ。

俺が他家の娘と結魂の儀を行う――だがこれは、イツ花が持ってきた釣書を見ても、言い方は悪いがどの女も同じに見えて、選べなかったのでそのまま山積みになっている。

忍が交神か結魂に行く――しばらく先になるが……昨日一晩、悩みに悩んで、さすがに「これは無いな」と思う相手は抜いておいた。
あの中からなら、どの相手を選んでも、忍が辛い思いをすることは無いだろう。

そして、先ほどの返事で解ったことがひとつだけ。
おそらく忍は、俺に対して交神だけでなく――結魂にも行くなと、そう言いたいのだ。
能力を考えれば、俺が子を成すより忍が子を成した方が、強い子を授かるに決まっている。

しかし、こうハッキリと、俺を信じていないと――拒絶の意思を表されるのは正直堪える。
初対面で泣かれてから、好かれているとは思っていなかったが……やはり、認めてはくれないか。

忍に泣かれると、どうしたら良いのかわからなくなる。
独りきりで討伐に出かけて、傷を負う痛みの方がまだマシだ。
そして何故なのか、これも全く理由がわからないが、忍に『他家の娘と結魂の儀を行え』と言われなかったことに対して、俺は何処かでほっとしている。
信じてもらえないもどかしさと矛盾する――この気持ちは、一体何なのだろう。

ただ、今の俺に出来ることは、忍が怪我を治すために休養している間、討伐に出かけてひたすら鬼を狩ることだけだ。
結魂ならば奉納点は必要無いが、交神を選んだ場合に、奉納点が足りないが為に望む相手を諦めなければならない――という事態は出来る限り避けたい。
無事に帰ると約束してしまった為、大して戦果を上げることは出来なかったが、今月は一月で討伐を切り上げて京に帰ることにした。

 

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高羽家青嵐記・弐

地上に降りて、俺は近所に住む剣術師範に戦い方を教えてもらうことになった。

どういう素性かは知らないが、師範は街の人とほんの少し雰囲気の違う人で――夕暮れの海のような蒼い瞳を持っていた。
異人の商人に時折見る、金の巻き毛に青い瞳ではなく、黒髪に青い瞳の組み合わせは珍しい。一度、気になって聞いたことがあるが、返答は「異国の出身だから」とだけ言われた。(ああ、聞かれたくないねんな)と思った俺は、師にそれ以上尋ねることはしていない。
師は、俺が小さい頃から通っていた寺子屋にも度々出入りしていて、例の喧嘩の時にも俺を庇ってくれた。

俺は、親父や天界の連中だけでなく――おそらく、とても沢山の人に助けられて「生かされて」いる。
本来思い描いていた方法とは大幅に違ってしまったが、荒れた都を建てなおす力になれるのなら、『鬼狩り稼業も悪くないかもしれない』と思えるようになった。

 

そうしてしばらくたった頃。
天界から遣わされた、下働きの娘――イツ花に連れられて、俺の胸の辺りぐらいまでの背丈に成長した、忍が家にやってきた。

「はじめまして、透様! 今日から、身の回りのお世話をさせて頂くイツ花です! よろしくお願いしまーす! とりあえず、風邪を引かないだけが取り柄の私ですから、何でもバーンとォ! お言いつけください。でもってェ、一日でも早く朱点童子を倒せるよう一緒に頑張りましょうネ!!」

(な――昼子?! 何で、此処に?!)
口も利けないぐらい驚いている俺を尻目に、イツ花は一気に挨拶の口上をまくし立てる。

「何が『はじめまして』や! ふざけとんのかお前」

口上が終わり、ようやく口を挟めるようになったが、反射的に口をついた言葉はつい喧嘩腰になってしまう。
忘れもしない琥珀の瞳を真正面から見据え、俺は忍の存在を忘れてイツ花を睨みつけていた。

「ごめ、なさ……」
「違う、自分に言うてるわけや無い」

イツ花の袖を握り緊めながら、見上げる藍色の瞳に気がついて、俺は慌てて声をかけるが遅かった。
忍の両目には、涙が浮かんでいる。

「怒らないで、父様」
「お父ちゃん言うな」
「ごめんなさい」

反射的に言った俺の顔を見て、忍はぼろぼろと大粒の涙をこぼす。
耐え切れなくなってしゃくりあげる少女は、床に視線を落としたままだ。

(ああ、この子も。――俺のこの瞳が怖いんか)

 

寺子屋に通っていた頃から、極稀に女子と目が合うと決まって目を逸らされていた。
眼鏡をかけるようになってから、多少マシになっていたが――自分しか居ない家の中だったので、油断していて今日は眼鏡をかけていなかった。

少しかがんで視線の高さを揃え、懐から眼鏡を取り出してかけてから、俺は忍に声をかけた。外回り用に何度か練習した、笑顔を作れていると良いが。

「すまんかったの。これで、もう怖いことないやろ? 泣いたら別嬪さんが台無しやで」
「……」

驚いたように、無言で見返す忍は、ようやくイツ花の袖を離した。

「忍様も落ち着かれたことですし。いざ、出陣!! の前にィ、パパパパぐらいで構いませんから、色んな情報をお確かめくださいネ」

言うだけ言って、イツ花は「じゃあ、荷解きしてきまーす!」とさっさと蔵に引っ込んでしまった。

(あの顔立ちは、どうみても昼子にそっくりやねんけど。……昼子から感じるあの威圧感が無いし、年齢もちょっと下みたいやし。別人なんか?)

「あの、当主様」

恐る恐る、見上げながら話しかけてくる忍の頭に、俺はぽんと手を置く。
笑いたいわけではなかったが、思わず苦笑がもれてしまう。

「透でエエよ。ふたりしか居らんのに、そないな呼び方されたら堅ッ苦しゅーて適わんわ」
「はい」

イツ花がそそくさと蔵の方へ行ってしまったので、部屋に忍を連れて行くのは俺の役目になった。
さっそく鬼退治に行くとなれば、身支度をしなければならないのだが、女子の着替えやら何やらを、俺の手ですることは出来ない。
ひとまず部屋に忍を待たせて、俺はイツ花を呼びに蔵へ行くことにした。

「――イツ花ちゃん」
「何でしょう? 透様」

ハタキを片手に、イツ花が振り返る。

「忍ちゃんの身支度、手伝うたってや。荷解きや、討伐に持って行くモンの準備は俺がやっとくから」
「はーい! ンじゃ、お支度が出来ましたら、今度こそ、本物の出陣の号令をお掛けくださいネ」
「なァ、アンタと昼子は――」
「イツ花の髪型や声色は昼子様のマネっこなんです! ここまで似せるの、苦労してるんですよォ?」

エヘヘと笑う少女からは、女神から感じたのと同じ威圧感はやはり、感じられない。
憧れて真似ているとイツ花が言うのは、おそらく本当なのだろう。

支度を整え、玄関に並んで立つ俺と忍に、初めての出陣に際する忠告をイツ花がしてくれた。
イツ花の「当主様、ご出陣!」の声を背に、出発しかけて、俺は大事なことに気がついた。

「悪い、イツ花ちゃん、これ預かっといて」
「え? 透様、眼鏡がなくて、お差支え無いのですか?」

自分自身、目が悪く、視界を矯正する為に眼鏡をかけているイツ花には、他の目的が想像できなかったのだろう。
驚いた表情で、俺の顔を見るイツ花の眼鏡を取り、代わりに俺が先ほどまでかけていた眼鏡をかけてやり――玄関先に置いてある鏡を差し出す。

「見てみ」
「ああッ!」

鏡の中のイツ花の瞳は、琥珀から灰に近い墨色に染め替えられていた。

「度は入ってへんから、イツ花ちゃんには向かへんと思うけどな。目の色隠したければ貸したるわ」

ははっと笑って、頭をぽんぽんとはたき、「ほな行ってくるわ」と告げると、自分の眼鏡にかけかえたイツ花は、何やら複雑な表情で俺を見ていた。

「透様は、眼鏡をお使いにならない方が、良いかと……」
「そうか? まあ、討伐の時は割れたらアカンから、言われんでも置いていくけどな」
「あの、透……ちゃん」

当主様とも、父とも呼ぶなと言ったため、どう呼べば良いのか困惑している忍は、俺を呼ぶのに若干ためらいがあった。

「忍ちゃんは、怖かったら後ろに下がっとき」
「……うん」

素顔を見せると、目を逸らされる。反応から察するに、俺はやはり忍に怖がられているのだ。
血の絆があるから無条件に好かれる――なんて、期待していたわけではない……けれど。

(慣れとるいうても――嫌われるのは、あんまエエ気分や無いな)

 

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高羽家青嵐記<幕間2>

「初代様、いる?」
「――呼んだか」

嵐の呼びかけに応え、何もなかった空間に、水浅葱の髪と琥珀の瞳を持つ女侍――水月初代が姿を現した。

「実はちょっとばかし、困ったことになっててさー。お知恵を拝借したくて、こうして来ちゃったってワケ」
「用件を言え」

言って、彼女は嵐が用意した卓につく。
もてなしのつもりなのだろう。卓の上には、湯気の立ち上る茶器が用意されていた。

女性の前で弱音を吐くのを是としない、嵐が相談を持ちかけてくるのだ。
余程、抜き差しなら無い状況にあるのだろうと察して、水月初代は動じず話を進めることにした。

「言いにくいんだけど……透ちゃんの失言が原因でさ。忍ちゃん、透ちゃんに惚れちゃったみたいなんだよねー」
「何故、そうなるのだ」

言って、水月初代は眉間を揉み解す仕草をする。

確か以前会った時に――宮城嵐の記憶を得た透(今は嵐だが)は、「忍は忍であり、黒蓉とは違う」と言っていた筈だ。
女性の扱いをよく心得ている嵐がそう言っていた以上、彼が現世において忍と黒蓉を混同するような振舞いをするとは考えにくい。

「んー……透ちゃんってさ、下界でずっと暮らしてたじゃん? 色恋のひとつやふたつ、経験あってもおかしくないかなーって、俺は踏んでたんだケドねー」

常世の記憶を現世に持っていくことが出来ないように、透が現世を生きる今の状態で、嵐が透の記憶全てを把握することは難しい。
嵐の予想に反し、透は「自分が異性からどのように見られているか」に関する観察眼が信じられないほど、曇っていた。つまり――鈍いのである。

透のこれまでの生を知らない以上、嵐の予測が外れるのも仕方が無いが――帳簿の見方や討伐の為の鍛錬に打ち込んでいた透は、実は異性に縁が遠かった。
復興もままならぬ京の街では、嵐が生前通っていたような花街もまだなければ、通りを女子が出歩くことも少ない。

経済の流れから人々が何を思っているのかを読み取り、駆け引きをしたり街人と交渉したり、復興に関する投資をすることに関してはほぼ一流といっていい腕を持つ透だが、色恋沙汰となると壊滅的だった。

「巡り合わせってか、多分。忍ちゃんが好きになっちゃうタイプの、『不器用なオトコ』に、透ちゃんが……たまったま、運悪く? あてはまっちゃった、ってカンジ?」

「……成程。『嵐』ではなく、『透』が接した事が裏目に出たという訳か」
「初代様。その言われ様……俺、けっこー傷つくんですケド」

透の人物像に好感を抱く娘であれば、嵐には惚れないと言外に告げられ、彼は思わず苦笑する。

忍の涙に動揺したことで、現世で透の中に眠っていた『嵐』は揺り起こされ、透を通じて忍を見て――気付いてしまった。
忍が、「交神の儀に行くな」と泣いた理由に。

「女の子ってさー、ホント、いつの間にかオンナになっちゃうんだよね。……あれは、恋する女の瞳だよ。透ちゃんも、罪作りなことで」
「他人事のように言っている場合ではあるまい。透殿が交神に行けず、忍殿も交神の儀を拒むとなれば高羽の血が絶えてしまうぞ」

身も蓋も無い水月初代の物言いに、嵐は思わず卓に突っ伏してしまう。

「だーかーらー、こうやって相談に来たんじゃん! 初代様なら、何かイイ知恵無いかなってー……」

卓に突っ伏したまま、顔だけ起こして見上げているので、初代を見る嵐は自然と上目遣いになる。
頼みごとをしているというより、叱られている子供のように見えるのは、きっと今でも、お互いにとって『始祖』と『子』の関係が抜けきっていないからなのだろう。

嵐の淹れてくれた茶を啜り、良い知恵かどうかは判らないが――と水月初代は切り出した。

「それならば、残る選択肢は『結魂』か『養子縁組』しか無いのではないか?」
「やっぱ、そうなっちゃうよねェ」

のろのろと体を起こし、髪をかき上げながら、ふう……と嵐は溜息をつく。

「出来れば、後者はナシにしたいな。俺たちの我侭で、キツい道を歩んでもらうコトになるお家事情だからさ。……出来るだけ、他家のお子さんを巻き込みたく無いんだよね」
「では、さっさと『結魂の儀』を執り行えば良かろう」
「忍ちゃんの心情考えると、ソレも難しいかなって思うんだよね」

嵐の視線が泳ぐのを、水月初代は見逃さなかった。

「嘘をつけ。結魂に抵抗があるのは君だろう。――おおかた、黒蓉殿と忍殿、双方に不義を働くようで、透殿が他家の娘と結魂の儀を執り行うのが心苦しいのだろうが」
「――っ、お見通し? 敵わないなー、アンタには」

水月初代の琥珀の瞳を受け止め、嵐は困ったように苦笑した。

「君がどうしても、結魂を受け入れられないなら……忍殿を説得するしかないぞ。彼女が頑なに拒んでいるのは、『透の交神』なのだろう?」

交神は、血の絆を以って子を授かる行為だ。
神の血と人の血、一族全員の心をひとつにした祈りの念がなければ、子を授かることが出来ない。
相手の神によっては、互いの肉体に触れることなく子を授かることも可能なのだが、透も忍も、まだそのことを知らない。

一方、結魂は『魂の絆』を以って子を授かる行為――すなわち、互いの心の傷や、大切にしている想いなどまで全てを相手にさらけ出し、また自らも相手の心を丸ごと受け止める必要がある。
そのため、絆や繋がりといった点では、ある意味『交神の儀よりも深い、情や相互の理解』が必要となる。
宮城嵐として、御室川黒蓉との間に結魂によって子を設けたことのある嵐には、それがわかっているから――透として他家の娘と結魂を行うことに対し、許容できない心の壁がある。
その心の壁を取り払うことが出来ない以上、透が結魂の儀によって子を授かるのは、おそらく不可能だ。
そして、甚だ勝手な想いだと頭では判っていても、忍に結魂をすすめるのは黒蓉の面影が邪魔をして切り出せずにいるのだろう。

透が交神に対して「どっちでもいい」と一見無責任ともとれる発言をしたのも、心の奥底に眠る『嵐の、透と忍が他家との結魂を拒む願い』が原因なのだが、忍は当然それを知らない。

「やれやれ。全く、世話の焼けることだな。――では、君が言い出せないなら、イツ花から、透殿と忍殿に『結魂か、養子縁組か。どちらかを選ぶように』提案させよう」
「わかった。――俺は、ふたりがどっちを選んでも、その選択に従うよ。……今、生きているのは、透ちゃんと忍ちゃんなんだから」

覚悟を決め、そう告げると、嵐は再び透の生きる現世に帰っていった。

高羽家青嵐記<幕間>

「こんちはー初代様。ってか、今は俺も『初代』だっけ。はは、何かヘンな感じだなー」

魂の奥津城に再び姿を現した透は、前回女神の元を訪れた時と比べて、漂わせる雰囲気と顔に浮かべる表情――そして何より、特徴的な瞳の色が異なっていた。
瞳の色を隠す為の眼鏡を外した透は、火神の守護の証である、真紅の瞳を持っていた。

しかし、今、彼の瞳は大地の守護を得た者に特徴的な、琥珀色。
その変化が示すのは――情報、すなわち記憶……人格の変化。
今ここにいるのは、透の魂であって透ではない。かつて水月の血族に存在した、同じ面影を宿す魂――嵐。透の過去世。

「可愛い細君を、あまり待たせるものではないだろう? かの神を殴る役割は、私が引き受けても良いのだぞ」

「キャットファイトは勘弁してー! なんつって。……俺の黒蓉ちゃんは、ちゃんと待っててくれっからいーの。
それにさ、『会えない時間に相手を想う』ってのも、イイもんだよ?」

「……本当に、良いんだな。おそらく君は、誰よりつらい思いをすることになるぞ」

「だったら、余計にアンタに任せる訳にはいかないっしょ」

ふう、とため息をつくと、嵐は肩をすくめた。一瞬だけ真顔になるが、すぐに何時もの飄々とした笑みを浮かべて言い直す。

「いや、アンタの性分からして、朱点を巡る因縁に恨みつらみなんて抱かないっしょ?」

「そうだな。……巻き込まれた、数多くの子等の無念を思うと何とか溜飲を下げたいと――思わなくもない。
だが犠牲者を徒に増やすよりは、救える子らを一刻も早く、呪いから解き放ってやりたい」

「ほらね。だからコレは、やっぱ俺がやるべきなんだよ。――それに……もし、ただの他人の空似だったとしても、さ。
俺は……あの女を許すことは出来ない」

生まれ変わることを決め、魂の奥津城から旅立とうとした嵐は――水鏡で次に生まれてくる『始祖の娘』の姿を見てしまった。
自分ではない自分――宮城嵐が、妻にと望んだ女性によく似た面影のある――長い髪を二つに束ねた少女を。

輪廻の中にある全ての魂が通り抜ける『魂の奥津城』から見ていた嵐には、彼女が全く別の魂を持つ、黒蓉とは別の存在であることはわかっていた。
だがそれでも――今後彼女を待ち受ける過酷な運命を思うと、護りたい――傍にいて支えたいと想う気持ちを止められなかった。

始祖と娘では、決して結ばれることはない。
それが解っていても……御室川黒蓉によく似た面影を持つ娘を放っておくことなど、嵐にはどうしても出来なかった。
だから、次なる『運命の一族の始祖』に生まれ変わることを願い出た。

現世の理として、過去世の記憶や人格は余程のことが無い限り、来世で姿を現すことはできない。

滅多に見せない、彼の本気の決意を見て取り、もうひとりの『運命の一族の始祖』も心を決めた。

「わかった。では、水月の始祖として最後の禁術を君に施そう。――我が血脈に宿りて、異なる未来を旅した、嵐の魂の記憶よ。
今ここに、高羽透の魂への回帰を果たせ――」

水月家の始祖が詠唱を終わると同時に、ふわふわと漂っていた蛍火が、半透明になった透に溶け込んだ。

「……あったかいな。本当に、幸せに過ごさせてもらったんだな――異国での俺は」

かつて、水月嵐であった頃に……この『魂の奥津城』で始祖の水鏡を通じて、異国で過ごす自分の姿を垣間見たことが何度もあった。
けれど、ただ「見ている」のと、追体験として実際に自分の経験として知るのとでは、記憶の重みや厚みが全く違う。

「あーあ。常世の記憶は現世に持っては行けない……かぁ。切ないよねえ――でも、さ」

嵐の姿が、だんだん朧になっていく。
現世での透が、眠りから覚めようとしているのだ。

「これでイイんだよな。――あの子は……忍ちゃんは、忍ちゃんなんだから」

魂に刻まれた、誰かを本気で愛した記憶。残っていた、心残りやわだかまりを解くことが出来た記憶。それはきっと、心の奥底で今生での透を支える力になるだろう。

嵐――今は透だが――の魂が現世へと戻り、魂の奥津城には水月の始祖がひとり残された。

「まったく、世話の焼ける。――これでは私も、高羽の物語が幕を閉じるまで、生まれ変わることが出来ないではないか」

生きていた頃は生きていた頃で、地上の一族や街の住民や、果ては天界までもかき回してくれた、その名の通り嵐のような子供だった。
死んだら死んだで、今度は『運命の一族の始祖になる』と言って聞かない。
いっそ氏神にでも祀って神に封じてやろうか――と、思わないでは無かったが、『惚れた女に会えなくなるからそれだけは絶対に嫌だ』と泣きつかれた。

(やれやれ。私は、娘たちだけでなく――息子たちにも、弱いか)

そして幕間の時間は終わり――再び、物語は現世の高羽透により語られる。

 

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高羽家青嵐記・壱

――目覚めなさい。

女神の声に呼ばれ、目を開くと、俺の目の前には四人の女――いや、此処が天界であることからして、おそらくは四柱の女神。
朱点の呪いにより、俺には常人の何十倍もの速さで成長する「短命」と、神の血を持つ者との間にしか子を成す事ができない「種絶」が科せられたことを知らされた。

(ソレ、おかしく無いか? あの赤鬼が言うてたんは『父ちゃんと母ちゃんの分まで長生きするんだゼ』――寿命のことしか、言うてへんやろ)

短命の呪いが有る以上、放っておくだけで俺はすぐに死ぬ。
つまり、大江山の赤鬼にとって、脅威でもなんでもない。

それなのに――強大な神の力を血脈に取り入れる――つまり手間隙掛けて強敵をつくるようなことをする必要が、どこにある?
女神の声はさらに告げる――目の前の四柱の中から、最初の子の――母となる者を選べと。

「断る」

斬って捨てるような言葉に、女神達は揃って困惑の表情を浮かべた。

「何でわざわざ、呪われた者を増やす必要があんねん。そんな厄介な呪い貰うのなんざ、僕ひとりでエエやろが」

四柱の女神の後ろに立つ、光輝そのもののような眩い存在から目を逸らさず、俺はさらに言葉を続ける。

「子を為せっちゅーことは、その子にも呪いを引き継がす、っちゅーこととちゃうんかい」
「皆、下がりなさい」

一段高い所から眩い光輝の女神が命じると、四柱の女神も、周りにいた天仙も全て退出した。

「あんたが――太照天」

光輝は白妙の衣を纏い、髪に花飾りをあしらった、冷徹な表情を浮かべる女性の姿になった。年の頃は、二十二、三ぐらいだろうか。
俺の本当の母だという、お輪にどこか面影が似ている。そして――琥珀の瞳。

(――間違いない。俺はこの女――いや、この気配……威圧感に会うた事がある。昨日今日の話やない……もっと前や)

「たった二年。そのわずかな時間で、ご自分ひとりのみで朱点を倒せると、本気でお思いか」
「やってみせる」
「人は儚く、脆い。不測の事態で貴方が命を落とせば、全てが泡沫と消えるのですよ」
「つまり、俺に子を為せっちゅーんは、そっちの都合ってことやろ。保険のためにな」

何故天界は、俺にだけ手を差し伸べた。
大江山で命を落とした武士など、それこそ掃いて捨てるほど居るというのに。

先刻『希望はあなたの血の中に』と女神は言った。
そして、女神の顔を見て、疑念は確信に変わる。
血は、母から伝えられるもの。そしてどこかお輪に面影の似た女神、太照天昼子。――鍵を握っているのは『お輪』だ。
おそらく、お輪の血を受け継ぐものでなければ――朱点童子を倒すことは適わないのだ。

「――神と人が交わると、稀に両親を越える力を持った御子が生まれる。それが、朱点童子」

先に沈黙を破ったのは女神だった。

「今、私からお教えできるのは、これだけ。朱点童子を倒せるのは、朱点童子のみなのです――だから貴方には、子を為して貰わねばならない。女神との間に、子を」

そう言いながら、女神――太照天昼子は自らの衣に手をかけた。

「そこまでや。――まったく……体の張りどころを知っとる女は、厄介やの」

衣を脱ごうとした手を止めさせる為に、掴んだ手首を離す。

「では、あの四柱の中から、最初の子の母となる者を選んで頂けますね」
「――飛天ノ舞子」

家に送ると言っていた武具の中に、風の加護を受けた薙刀があった。
生き残る為に、少しでも有利に働く相手を。ただ、それだけのこと。

「おめでとう。かわいい女の子ですよ。この子に、名を」

時間の流れが曖昧な中、授かった子は女の子だった。
ぱっちりとした瞳は、殆ど常人の黒と変わらないほどの――深い藍色。

(――俺に似ぃひんで、ホンマに良かった)
「名は、『忍』。しのぶちゃんや。そう呼んだって」

赤子に武器は持たせられない。巻物や指南書も読ませることは出来ない。
だから俺は、子が赤子から幼子になるまでのわずかな間に、鬼を狩るために戦う力を身につける必要があった。
そして娘――忍は、天仙に育てられることになった。

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高羽家青嵐記<序>

「透。気ィついとるかもしれへんけどな。お前のホンマのお父ちゃんとお母ちゃんは別におんねん。
ワシが昔世話になったお侍さんでな。大江山で亡くならはった、源太さんや。今日、神さんとっから迎えがくるから、詳しいことはそっちで聞きや」

「……は? 何やそれ」

自分でも間抜けな答えだと思う。
鏡を見ていたわけではないが、きっとこのときの俺はさぞ間の抜けた表情をしていたことだろう。
俺には母親が居ない。
いや、居なかった……と言う方が正しい。つい先日、親父は嫁取りが決まったのだから。

俺だけでなく、朱点童子の襲撃で荒れ放題の京の街で、二親揃って健在な子供の方が珍しい。

商家に奉公に来た父がいるお陰で、俺は大江山の鬼の襲撃後冬を越せた『幸運な餓鬼』の中に入るわけだ。
そして、小さいながらも暖簾分けを許された父――今、俺の目の前に座っている、肌の浅黒い短髪の男だ――息子の俺が言うのもなんだが、とても俺のような大きな子供が居る年齢には見えない――の言葉に、俺は動揺すると同時に(ああ、やっぱり)とどこか納得して居たのもまた、事実なのだった。

顔立ちがどう――という訳ではない。
何時だったか、寺子屋で隣に座っていたクソガキと喧嘩して以来、俺は家の外に出るときはずっと、親父が買ってきてくれた、破璃の眼鏡をかけるようにしている。
別段、視力に問題があるわけではない。

問題があるのは――瞳の色だ。
夕暮れの赤よりも、もっと赤い――不吉さを思わせる、血のように鮮やかな真紅。
こんな瞳の色の人間、都のどこを探したっていやしない。
都を襲った『鬼』が冠するのと同じ「朱」。

瀬戸内の『鬼が島』から、はるばる海を渡って大阪まで奉公に出てきた親父は、瞳の色がどうだとか、そんな些細な事を気にする人ではない。

ただ――寺子屋から帰ってきたときの俺は、酷く頬を腫らして、着物もあちこち破れていた。
その有様を見て、揉め事のもとになるならば……と気を遣って、「瞳の色を隠すことができるように」と、職人に頼んで誂えてくれた一点ものを贈ってくれたのだ。
眼鏡をくれてから、1ヶ月ぐらいの間、親父は晩酌をしていなかった。だから俺も、寺子屋で喧嘩を吹っかけられても相手にしなくなった。

もっとも、眼鏡をかけていると、俺の瞳は真紅ではなく……明るい光の元では鳶色、室内だと焦茶ぐらいまで落ち着いた色合いに見える。
だからなのか、瞳の色をからかわれることはほぼ、無くなっていた。

大店に奉公に出て、読み書き算盤を習う人間の中には、俺のように眼鏡をかけている者も珍しくない。
だから、俺もこのまま――大きくなったら親父の跡を継ぐのだと、そう……思っていた。

「親父が……俺の、ホンマのお父ちゃんや無い言うんは、気ィついとったよ。
だって、俺のこの瞳。こんな色の瞳をした人間、他にどこ探してもいてへんやんか。――けど、神さんがどうとか、大江山がどうとか急に言われても、ワケわからんわ」

「すまん、透。――お前が、刀を持てる位の大きさになるまでは、普通の子として暮らさせて欲しい……これが、お前のホンマのお母ちゃんの願いでな」

「ホンマの、お母ちゃん……?」

「許してくれ。源太はんと、お輪はんのおふたりが、生まれたばかりのお前を俺に預けて、大江山に登らはった日のことは――昨日のことみたいに覚えとる。
粉雪の舞う日でな。寒いけん、風邪を引いたら大事やと思って、火鉢を取りに行こうとほんの少し目を離した隙に……お前は鬼に攫われてしもたんや」

ずきり、と鈍い痛みとともに、俺の脳裏に朧な映像が浮かび上がる。

粉雪の舞う中、雪深い山道をひたすら進む一組の男女。
大猿の姿をした鬼を倒し、二人が辿り着いたのは、鬼の首魁・朱点童子の寝所。

「――透、大丈夫か?!」

「大丈夫や。ちょっと、眩暈がしただけやから……それより」

さっき見えた映像が、赤子の頃の俺の記憶だと言うのなら。
あの、赤鬼の『おまじない』を受けた赤子こそが、俺で。

「――そっか。誰かがやらな、アカンねんな。
俺が『嫌や』言うたら、親父もオカンも、友達もみんな。朱点に襲われて死んでまうんやな。――せやったら、しゃーないな、やったるわ」

ははっと、笑いながら告げる俺に、心底辛そうな表情で、親父は頭を下げた。

「――透。俺はな、ホンマはお前に、鬼退治なんかより……この店継いで欲しいって、思ってたんや。
言わな、いつかホンマの事を言わなアカンって……思っとったんじゃがの」

言えなかった――と、噛み締める様に吐き出す親父に、俺はただ「頭を上げてくれ」としか言えない。

「なあ親父。ホンマのお父ちゃんがその――源太さんやったとしても。俺にとっての親父はひとりしかおらん。だから、そんな風に謝らんとってや」

 

かくして俺――運命の一族の始祖・高羽透は、地上での平和な生活に別れを告げた。
悔いは無い。
魂の奥津城で出会った、水浅葱の髪に金の瞳を持つ剣士――あの人に出来たことが、俺に出来なくてどうする。

 

 

(神さんからの迎えって、どんなんやねん!)

人間は、神の世界に入れない。神もまた、人の世界に入れない。
俺が直接見たわけではないが、何年も前、お店に奉公に着たばかりの親父は、大江山に向けて雲の上を進む、神の行列を見たことがあると話して聞かせてくれたことがある。
何十という神が、大江山の鬼を倒す為に進軍したのだと。
ただ――天界最高位の女神・太照天をもってしても、倒すことが叶わなかった強敵――それが、鬼を束ねる『朱点童子』。
それ以来、何人もの猛者が大江山に挑むが、朱点の元まで辿り着けたものは居なかった。
――俺の、本当の両親だという、源太・お輪を除いて。

親父に言われたとおり、俺は一軒の武家屋敷の前に来ていた。
武家屋敷と言っても、この荒れ放題の都の中にあるのだ。なんとか人が住める程度の、いわゆる「あばら屋」である。

いちおう自分の生家らしいので、「ごめんください」もどうかと声を掛けるのを躊躇っていると、いきなり玄関の前の空間が渦を巻くようにぐにゃりと揺れた。
歪みの向こうから聴こえるのは……どこかで聞いたような覚えの有る、よく通る――少年の、不思議な響きを持った声。

「――来たな。君が、この世界の『運命の一族の始祖』か。さあ、私の手をとれ。女神の元に、案内しよう」

差し出された手を取ると、俺は何も無い、天も地もわからない、不思議な空間に取り込まれていた。
目の前に立つ、藍と水の戦装束を纏った人物を見て「あ!」と、無意識のうちに口から声が漏れていた。

「――あんた、誰や? いや、どっかで会うたような……アカン、思い出されへん」

腰まで届く、長い水浅葱の髪。ぱっちりとした大きな目。しかし何よりも印象的なのは、琥珀を思わせる金色の瞳。
こんな色合いの瞳を持った人間が、俺の他にもいたなんて。
声だけ聞いていたときは、てっきり男かと思った――が、こうして顔を見ると目の前の人物が女性であると、はっきりと判る。
首の後ろで束ねただけの飾り気の無い髪型は、戦装束の鎧とあいまって、凛とした彼女の雰囲気にとてもよく似合っていた。

(こんな目立つ相手、いっぺん会うてたら絶対忘れるはず、無いんやけどなぁ。……つーか、銀髪金目の女侍なんて、絶対耳に入るはずや)

「此処は、『魂の奥津城』――天と地の狭間にある、神でも人でもない者が通ることの出来る、特殊な『場』だ。これから、女神に会って、君の事情を説明してもらうわけだが」

金目の女は、俺の疑問に応えるかのように真正面から俺の視線を受け止めると、何故か一瞬――言いよどむように、言葉を切った。

「今なら、引き返すことも出来る。――君ではなく、他の魂に始祖の役割を任せることもできるのだぞ?」

どこで会ったのか、全く思い出せないが……どうやら、俺の勘違いではないらしい。この女は、確かに俺を――知っている。

「いや、俺がやる」
「そうか――君と、君の一族に祝福あれ」

手を出せという言葉に従って、握手でもするのかと差し出すと、「違う、こうだ」と拳を握らされた。
コツン――俺の拳の上に軽く一回。
コツン――拳の下から、軽く一回。
コツン――拳と拳を正面から、軽く合わせる。
掌を開いて上に――ぱあんと、手と手を打ち鳴らす。

そして俺は、こことは別の運命を歩む『一族の始祖』に別れを告げた。

 

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