黄泉路の記憶 ※2013年10月発行の同人誌に再録してあります。
「――っ、忍ちゃん!」
背後に殺気を感じて振り返ると、忍の背後に迫る紅蓮の鬼が見えた。
慌てて声をかけるが、遅い。
不意を突かれて陣形を乱され――何時もなら俺の後ろにいるはずで、普段ならばほぼ、見ることの無い――忍の後姿が見える。
「クソ、忍から離れろ!」
いくら討伐に慣れてきたといっても。
忍が次々斬撃を浴びる様など、見たいものか。
「透ちゃん――」
寒いよ……そう言うと忍は、俺の生母――忍にとっては祖母に当たるが――の形見だという、風の守護を受けた薙刀にすがるように、ふらつく足元を支えた。
紅蓮の鬼――燃え髪大将の指先に、幾つもの火球が点るのが見えた。
(あれは、花連火の術! ――くそ、弓さえあれば――!)
拳や刀の間合いは短く、踏込まなければ相手に一太刀浴びせることは出来ない。
考えるより先に体が動く。
肉の焦げる不快な臭いが鼻を突いた。
(――良かった)
忍に術が当たることは何とか防げた。
鬼が腕を振り上げるのと同時に、俺も父の形見の剣を構えて踏込む。
鬼の爪が脇腹を抉るのが判った。
(熱い――)
イツ花が願いを込めたという白ハチマキは、血を吸ってべったりと背中に張り付いていた。
どくどくと流れる血が、足元で泥と混じってどす黒い水溜りを作る。
すれ違いざま、燃え髪大将が倒れこむのが見えた。
忍に駆け寄りたいが――体が重かった。
何とか足を引きずるようにして、忍の側まで行き――声をかけると、寝起きのようにボンヤリと焦点の合わない様子で、目を薄く開いた。
「忍ちゃん、しっかりせえ! 絶対、家に連れて帰ってやるさかい」
「……透、ちゃん――?」
その場しのぎの傷の処置しか、出来なくても……せめて、血を止めて薬をつける位は。
「大丈夫やから」
「透ちゃんも、寒いん……?」
寒い寒いと、言っていたのは忍の方なのに、何故。
傷の手当てをしようと伸ばした俺の手を、そっと包む込むように忍が握る。
「……手、震えてる」
「寒いんか、何なんか。もう、俺にも判らん」
寒くないのかと問う忍の手の方が、冷たくて――俺の背筋にじわりと厭な感覚が走る。
(――何や、今の)
俺は思わず、忍の体を抱きしめていた。
「死なんとってくれ――忍ちゃん」
返事は無い。ただ、浅い呼吸があるだけだ。一刻も早く、屋敷に帰らなければ。
その晩、俺は酷く厭な夢を見た。
――はらはらと、舞い散る白い風花。
(ああ――これは。この雪は。大江山……)
紅く染まる白い大地と、外套の下に着込んだ白装束。
美しかった、長い水浅葱の髪も血糊でべったりと斑に染まっている。
――おとうさん……わたし……もう、ダメみたい。
……ごめんね……。
浅く早い呼吸の中で、掠れて告げる幼い声。
腕の中で、どんどん冷たくなっていく、小さな体。
俺に出来ることはといえば、冷たくなっていく娘の体を、ただ抱きしめることだけだった。
いくら癒しの術をかけても、止まらず流れ出る血。
「お願いだ、俺より先に死なないでくれ――」
滲む視界。
「……さま。透さま!」
荒っぽく体を揺さぶられて、俺はゆっくりと目を開ける。
「イツ花ちゃん……そない乱暴にされたら、僕ホンマあの世にいってまうやろ」
「ああ、良かった。いつもの透様ですね」
あちこち痛いような気がするが、布団の中で昼子そっくりの顔に見下ろされるのは何となく癪に障る。俺は無理矢理体を起こすが、イツ花に止める気配は無い。
「ひどく、魘されておいででした」
だからイツ花なりに気を遣って、起こしたということなのだろうが……俺でなければ本当に、そのまま永眠しかねない。もう少し穏やかな起こし方というものがあるだろう。
「忍ちゃんは?」
「お薬が効いているのでしょう。もうじきお目覚めかと思いますが……」
少し言いにくそうに、イツ花は一旦言葉を切る。
「透様、起きて大丈夫なのでしたら……お湯をお持ちしましょうか」
怪我の所為なのか、夢見が悪かった所為なのか、布団がじわりと湿気る程に汗をかいていた。
しかし、いい加減見慣れても良さそうなものだが、イツ花もやはり素顔の俺を見ると落ち着かなさそうにしている。
天界にしょっちゅう出入りしていれば、真紅の瞳など珍しいものでもないだろうに。
「ああ、盥と一緒に眼鏡も持ってきてくれへん?」
「え――はい。あれれ、でも……透様は眼鏡が無くてもお差し支えないはずでは?」
「落ち着かんねん」
イツ花が用意してくれた盥を使い、適当に体を拭く――が、やはり腕は折れていたのだろう。
固定して少しきつめに包帯を巻いてあるので、そのままにしておく。
寝間着から着替えて、忍の部屋に向かおうとしたらイツ花が折れた片腕を吊ってくれた。
薬が効いているのか、忍は穏やかな顔で眠っていた。
顔に巻かれた包帯が痛々しい。
いくら、傷跡が残らないとは言っても――忍は、年頃の娘だ。
「……堪忍や」
包帯の上からそっと頭を撫でると、ゆっくりと瞼が持ち上がった。
俺は慌てて手を引っ込める。
「――透、ちゃん?」
「気ィついたんか」
忍の視線が、吊られた俺の腕から、顔へと移動する。
泣きそうな目をして、忍は言う。
「ごめんなさい……わたし」
「謝んな!」
自分でも驚くほど荒い声音に、俺は続く言葉を見つけることが出来なかった。
てっきり泣くかと思っていた忍は、困ったように微笑んだ。
どうしたら良いのかわからないまま、俺はそのまま身動きが取れずにいる。
ゆっくりと忍の手が持ち上がり……そのまま、俺の頬に触れた。
忍の手は、仄かに暖かかった。