在りし日の面影 弐

「このたび、二ツ扇ノ前様より授かりました我が子に御座います」
当主に向かい口上を述べ、親子はうやうやしく頭を下げる。

少年がはじめて目にした「当主様」は、少年のものよりはやや暗めの金茶の髪をしていた。

なにやら難しい書類の整理をしている最中らしく、背を向けているので顔まではわからない。
「清澄。お前、子供の名をまだ決めておらんのか」
「は・・・いえ、当主に目通りかなうまではと、私が呼ぶのは仮の名に過ぎぬゆえ、とよく言い聞かせてあります」
「たわけ。子供の名など、ひとつあれば足りる」

高千穂家において、当主の言う事は絶対とされていた。

子の名前ひとつとっても勝手に決める訳には行かない、と清澄は律儀に当主の帰りを待っていたのだが、若い当主は仮の名も何も無い、父親の決めた名で良いと叱咤する。
「で、子供の名は?」
「炎の女神のお子ゆえに、『緋鷹』と呼んでおります」
「そうか。清澄、下がって良いぞ。先に行って修練場の支度をしておけ」

清澄が退席すると、金茶髪の青年はまた黙々と書類の整理を始めた。
(どうすればいいんだろう・・・・・・)

残された緋鷹は、困ったように当主の背中を見つめた。
「もうすぐ終わる。少し待て」

視線に気付いてでもいるかのように、背を向けたまま青年は緋鷹に告げた。

静かな室内に、さらさらと筆の滑る音だけがかすかに聞こえる。
「聞き分けのいいことだ。躾が行き届いているのか? いや、『礼儀正しくおとなしい』か。・・・・・・性格は、清澄に似たのだろうな」

独り言のように、緋鷹に顔を向けることなく青年は言った。

やがてひと仕事終えて筆を置いた青年は、緋鷹の方へと向き直る。
「あ・・・・・・!」

緋鷹の鮮やかな金色の髪に比べ、やや落ち着いた色合いの金茶の髪に、深みのある藍色の瞳。
少し雰囲気は違うが、青年の面には同じ系統の神の守護が現れていた。

肌の色を除いて似通った印象を持つ二人を知らない者が見たとしたら、清澄ではなくこの青年が緋鷹の父親かと思ったとしても不思議はなかっただろう。

しかし、緋鷹の驚きは、それだけではなかった。

何よりも、その整った顔立ちをぶち壊しかねない目付きの悪さ。
偉そうにしているのは、実際偉い相手なのだからそういうものなのだろうと子供心に思うが――目の前の人物――緋鷹にとって初めて会う「当主様」は、先程自分を助けてくれた都人に瓜二つだった。

髪と、瞳の色以外は。
「何だ、ガキ。俺様の顔に何かついているか?」

呆然と見つめる緋鷹に対し、当主は不機嫌そうな表情でもっともな問いかけをした。
「あ・・・いえ・・・・・・」
(もしかして、怒らせちゃったのかも・・・どうしよう・・・・・・)

内心の焦りを隠して、緋鷹は話題を変えようと試みる。
「あの・・・・・・当主様のお名前はなんと仰るのですか?」
「清澄から聞いておらんのか? 『透架』、だ」

と・う・か、と全ての音にアクセントがついているので吐き捨てるような印象に聞こえる。

当主の名前はひとつの方が、何かと便利だからな、と不機嫌そうな表情のまま言う青年に対して、何とか会話を続けようと緋鷹はさらに問いかけた。
「えっと・・・そうではなくて。あなたの、お名前は?」

緋鷹の問いに、青年は一瞬だけふっと表情を緩めたが、すぐにまた不機嫌そうな顔つきに戻った。
「生まれたときの名前は速風というが・・・俺様の事を名前で呼ぶのはやめておいた方がいいぞ、ガキ。初代の名にしても俺様の名にしても、当主の名を呼ぶのは不敬にあたる」

糞爺の決めたくだらん決まりだが清澄は気にする性質だからな、と皮肉めいた笑みを口元に浮かべて速風は付け足した。

このときの緋鷹はまだ知らなかったが、実際、透架――初代当主は、速風の祖父にあたる人物だった。

しかし、直接会ったことはないとはいえ、偉大な先祖であり一族の始祖である人物を「糞爺」などと悪し様に呼んだ者は他にいなかったため、緋鷹は目を丸くした。

一族の誰もが初代に対し畏敬の念を抱いているのとは違い、速風はなにやらひどく初代を嫌っている様子だった。
「俺様はあの糞爺の言うなりになる気は無いがな。――お前は、気を付けた方が良い」

くしゃくしゃと緋鷹の髪をかき回し、速風は呟いた。
「これから先・・・・・・一族の中で上手くやっていくためには、な。初代亡き今でも、『掟』は絶対だからな」

ぽんぽん、と軽く頭をはたかれた緋鷹は、不思議なものでも見るような目で速風を見あげていた。

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