「はぁ? 意味わからんわ。俺に交神行くなて。そら、相手は忍ちゃんのお母さんとは別の神さんやけど、力考えたらしゃあないやろ」
「そういうことを言ってるんと違う。透ちゃんが『交神』行くのが嫌なんや!」
忍が家に来てから、ふた月経った。
最初の頃こそ、怖がっているような素振りを見せていたが、いい加減俺の口の悪さにも目つきの悪さにも慣れたのか、今では気に入らないことがあると、忍は平気で言い返してくるようになった。
口調も、すっかり俺のがうつってしまった。
街の中で、商人相手に値切るときは良いが、良家の子女としては如何なものかと思い、『直せ』『俺の口調を真似るな』と言い聞かせているが一向に直る気配が無い。
「じゃあ何か? 舞子さんにずっと操立てえ言うんか?」
「お母ちゃんに操立てろやなんて言うてるんとちゃうわ!」
忍が何に対して怒っているのか全く見当がつかない俺は、切り口を変えることにした。
「あのなあ。――ずっとふたりで討伐行ける訳なんかあらへんやろ。わかってんのか、忍ちゃん。自分、先月大怪我したばっかりやろがや」
「嫌なもんは嫌や!」
どうして、判ってくれない? 忍をこれ以上、危険な目に遭わせたくないから、戦力の増強が必要で……忍が元服を迎えていない以上、交神の儀に臨む事が出来るのは、俺しか居ない。
だから、潔斎して……儀式に必要な祈りの祝詞を覚えさせようとしたら、このザマだ。
忍が、先月留守番を任せた折に、近所に住む三味線のお師匠さんの元で琵琶の弾き語りの才能を開花させたことは、イツ花から聞いて知っている。
そして、三味線の師匠に対し、仄かな恋心を抱いているのではないか……ということは、手習いの行き帰りの、忍の嬉しそうな様子を見て察しがついた。
だから俺が、交神に行くと言っているのに。
忍に行けと言っているのなら拒まれるのはまだ解るが、何故俺が交神に行くのを拒む。
「せやったら、忍ちゃんが交神行くか? 俺は別にどっちでも――」
「知らんわ! 透ちゃんのアホ!!」
俺が最後まで言い終わらないうちに、ぱぁん! と頬が鳴る。じわり、と顔の左側が熱くなった。
「痛ったー……って、忍ちゃん、どこ行くねん!」
「透ちゃんのアホ!! ついて来んといて! 透ちゃんなんか、大っキライや!!」
(――っ、何で泣くねん! ホンマ、ワケわからんわ!)
走り去る忍を追いかけることも侭ならず、俺はただ、震える自分の拳を握り締めることしか出来なかった。
「これやから、女は好かんのや」
どん、と思わず壁を殴る俺に、イツ花が控えめに話しかけた。
「あの、透様」
「何や」
上目遣いに切り出すイツ花に、例によって俺はつっけんどんに答えてしまう。
元々細かいことを気にしない性分のイツ花だ。いい加減慣れたのか、俺に睨まれた位では全く動じないのでこういう時は助かる。
「さしあたっての問題は、『戦力の増強』なんですよネ? でしたら、交神でお子を授かる以外に、『養子をお迎えする』ですとか、『結魂の儀』により他家との間にお子をもうける……といった方法もございますが」
「……は? 何やて?」
養子縁組、は何となくわかる。
一般的に、市井で行われているのと同様に、他家から跡取りを迎え入れるということなのだろう。
(他家との間にお子て、『種絶の呪い』はどこ行ってん!!)
俺は余程、驚いた顔をしていたのだろう。軽く笑うと、イツ花はこう言った。
「透様、イツ花の『説明』ちゃんと読んでませんね? 確かに透様にかけられた『種絶の呪い』は、人との間に子を成すことができません。――でも」
そこでいったん言葉を切ると、いつもの「お風呂の用意、出来てまーす!」と告げる時と同じ位に軽いノリで、イツ花は衝撃の事実を口にする。
「この世界には――いえ、正確に言うと『異世界』に近いんでスが。遠き異国に、当家と似たような境遇のご一族がいらっしゃるんですよ」
「つまり、そいつらとの間にやったら子を成せる――跡取りをもうけられる、って事か」
ずり落ちかけた眼鏡を直しながら、俺はイツ花の言葉の続きを語る。
「さっすが透様! お話が早くて、イツ花、とっても助かっちゃいます!」
「……結論から言うで。まず、『養子縁組』は無しや。俺の……いや、俺らの目的の為に他所様のお子さんを巻き込むことは出来ひん」
俺の返答を聞くと、イツ花は「はぁー」とガックリ肩を落とした。
しかしすぐに顔を上げると「ではご結魂なさるのですネ!!」と満面の笑顔で返してきやがった。
立ち直りの早い奴だ。
「ちょい待てや。『結魂』て、歳は関係無いんか?」
「いえ、結魂の儀に臨むには、肉体・魂の双方が安定した状態で無ければダメなんです。つまり、元服を終えられた方が条件ですネ」
イツ花の説明に、少しばかり引っかかるものを感じた俺は、即答を避けて念の為に確認をとる。
「なあイツ花ちゃん。ソレ交神とどう違うねん。俺にはイマイチ、違いが解れへんねやけど。俺にも解るように教えてや」
「うーんとですネ。簡単に言うと、肉体の繋がりを以ってお子を授かるのが『交神の儀』、当家と似たようなお立場の方から、魂の力をお借りしてお子を授かるのが『結魂の儀』。……おわかりになります?」
なんとなくの印象ではあるのだが、神様とイチャイチャ触れ合うのが交神、異国の異性と仲良く語らって「頼んます!」と拝み倒すのが結魂、ということで良いのだろうか。
「いや、サッパリわからん」
「あうぅ……では、忍様には、今と同じお話をイツ花からしておきますネ」
俺が理解していないものを、説明できる筈が無い。
ここはイツ花の提案に甘えることにした。
翌日。お気に入りの琵琶を片手にお師匠さんの所から帰ってきた忍は、俺の顔を見るなりこう言った。
「うちが、跡取りを授かる。結魂でも交神でも、何でもする。せやから、透ちゃんが交神に行くんは無しやで」
真っ直ぐに俺の顔を見据えて告げる、強い意志を宿した瞳。
……俺に、断れるわけがない。
「わかった。けど、忍ちゃんが儀式に行くなら……あと三月、ふたりで頑張らなアカンっちゅーことやな」
「うちに出来る、いっちばんの譲歩やで。こん位のワガママ、花嫁修業やと思って許してや」
忍はそれだけ言うと、顔全体をくしゃくしゃにして俺を見上げる。
(あ、やばい。――この顔は、また、泣く)
「しゃーないなァ。ワガママ、きいたるわ」
何故、忍はこんな顔をする。
時折見せる、辛そうな――今にも泣き出しそうな笑顔。
俺は思わず、忍の頭に手をやり……小さい子にするように、ぽんぽん、とはたいてから軽く撫でた。
「もう! 子供扱い、せんといて!」
「すまんの。ほな、忍ちゃんが花嫁修業しとる間に、似合いのエエ男探してきたるから、待っといてや」
「……透ちゃんのアホ」
ぷい、とそっぽを向く忍を見て、何故だかわからないが、俺もほんの少し……苦しいような、痛いような気持ちになった。
「はは、子供扱いするな言うから、大人の女な忍ちゃんにピッタリの相手探す言うとんのに。手厳しいのー」
「うっさいわ! そんなん、自分の相手ぐらい自分で決められるわ。ほなウチ、早よ怪我治せるようにおとなしくしとるから、透ちゃんはさっさと討伐行きや」
「おう。なら、留守番しとる間に、神さんの姿絵やら見合いの釣書やら見て、エエなって思う相手、見繕っとくんやで」
イツ花の持ってきた、神様の姿絵やら釣書の山を指して言うと、忍は一瞬そちらに目を遣り、キッと俺を睨みつけた。
「……うちの、花嫁姿にケチつけたら許さへんからな」
「あほか。そんなこと、絶対せえへんわ――忍ちゃんやったら……いや。何でもない」
――鎧や薙刀なんかより、花嫁衣裳の方が似合うエエ女に絶対なる。
本当は、忍には戦装束などよりもっと、娘らしい着物の方が似合う――一瞬、そんな言葉が頭の片隅に浮かんだが、口に出すことは出来なかった。
「何なん? 透ちゃんのアホ。……無茶せぇへんと、今月が終わったら、帰って来ィや」
俺が交神に行けない(忍がイヤだと拒むので、儀式に必要な『一族全員の心をひとつにした祈り』を得ることが出来ない)以上、選べる選択肢は三つ。
俺が他家の娘と結魂の儀を行う――だがこれは、イツ花が持ってきた釣書を見ても、言い方は悪いがどの女も同じに見えて、選べなかったのでそのまま山積みになっている。
忍が交神か結魂に行く――しばらく先になるが……昨日一晩、悩みに悩んで、さすがに「これは無いな」と思う相手は抜いておいた。
あの中からなら、どの相手を選んでも、忍が辛い思いをすることは無いだろう。
そして、先ほどの返事で解ったことがひとつだけ。
おそらく忍は、俺に対して交神だけでなく――結魂にも行くなと、そう言いたいのだ。
能力を考えれば、俺が子を成すより忍が子を成した方が、強い子を授かるに決まっている。
しかし、こうハッキリと、俺を信じていないと――拒絶の意思を表されるのは正直堪える。
初対面で泣かれてから、好かれているとは思っていなかったが……やはり、認めてはくれないか。
忍に泣かれると、どうしたら良いのかわからなくなる。
独りきりで討伐に出かけて、傷を負う痛みの方がまだマシだ。
そして何故なのか、これも全く理由がわからないが、忍に『他家の娘と結魂の儀を行え』と言われなかったことに対して、俺は何処かでほっとしている。
信じてもらえないもどかしさと矛盾する――この気持ちは、一体何なのだろう。
ただ、今の俺に出来ることは、忍が怪我を治すために休養している間、討伐に出かけてひたすら鬼を狩ることだけだ。
結魂ならば奉納点は必要無いが、交神を選んだ場合に、奉納点が足りないが為に望む相手を諦めなければならない――という事態は出来る限り避けたい。
無事に帰ると約束してしまった為、大して戦果を上げることは出来なかったが、今月は一月で討伐を切り上げて京に帰ることにした。
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